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礼拝ブログ

洗礼を受けられた男性の体験談です。

救いの証       M.H.    

 

5歳ぐらいの時に、『人は死んだらどうなるの?』と母に訊ね、『どうなるだろうね?何も無くなってしまうんだろうね。』と言われ、寝込んでしまった記憶があります。初めて『絶望』を垣間見た瞬間でした。ただし、子供ですから、その後はすっかり忘れ、悩むことはありませんでした。

小学校時代は、寝る前に布団の中で、なぜか自分勝手に祈って寝るような子供でした。ただし一体何に祈っていたのか?今となってははっきりしません。その後は祈る習慣も続かず、中学、高校時代は全く神様とは接点がない時を過ごしました。

学生時代に不登校になりかけていた時があり、不安に苛まれながら、家にあった新約聖書を独りでむさぼる様に読んだ時期がありました。ただし、独力で内容を正しく理解するはずもなく、繰り返される奇跡の話を不思議に思い、最後に、救世主が亡くなってしまうことも、理解できませんでした。不登校の泥沼からは、何故か這い上がることが出来、その結果、聖書からは自然に遠ざかってしまいました。その後は、自分中心でものを考える生活が続きました。

30歳の時に、父親の急逝があり、『死』と『人生の意味』に再度直面しました。仏教や哲学、文学に答えを求めましたが、直接的な答えはどこにもなく、『人生=空虚』という思いに苛まれました。その後、妻と巡り会い、家族を持つにいたって安らぎを得ることができました。ただし自分中心に判断行動する点は変わりませんでした。

そんな中で子供が、葛飾こどもの園幼稚園にお世話になることになり、教会とは初めて接点ができました。ただし、定期的に成人科の礼拝に参加するようになったのは、子供が卒園してからでした。最初は講演を聞くような感じで出席しているだけで、讃美歌も声を出して歌うことに躊躇する状態でした。

07年秋に自分で聖書を購入し、読むようになりました、犬養道子さんの聖書物語を会社の行き帰りの電車内で繰り返し読んだのもその時でした。そうしているうちに、讃美歌を歌いながら、涙が出たり、歌えなくなることが多くなりました。今から思うと、ようやく神様のドアの前に立った状態だったと思います。

そんな中、職場で机を並べていた年下の仲間の死があり、眠れない日が続きました。家族5人で家の居間に寝ているのですが、夜中、薄明かりの中、絶対的な孤独感を感じました。5歳の時に感じた絶望感です。『何者にもつながっていない世界』に閉じ込められている自分、本当に恐ろしく、自分では意識せず、『イエス様、御救いください!』と祈っていました。そして不思議なことに、祈り終えるた時には、あの絶望感は跡かたもなく消え去っていました。神様のドアが開いた瞬間でした。

その後も、ふらふらしている自分がいますが、いろいろな形で神様は、問い掛けてこられます。神様、どうか、あなたと一緒に人生を歩ませてください。アーメン。

こどもの園幼稚園を通して信仰をもたれた女性の体験談です。

導かれて H.K

 

 私は、幼い頃、自宅近くの教会保育園に一年保育で通っていたことがありました。当時は、昼食の時にお祈りをしたり、クリスマス会ではイエス様誕生の劇や賛美歌の合唱をした事をうっすらと覚えていますが、日曜日の教会学校へは一度も行ったことはありませんでしたし、その他の事は全く記憶にありません。しかし、その後の生活で気がつくと、「主我を愛す、主は強ければ、我弱くとも恐れはあらじ」という賛美歌を、その意味が分からないまま口ずさんでいることがありました。今から考えれば、福音の種がまかれていたのかもしれません。

 その後、教会とは縁のない生活がしばらく続きました。成人した頃、ある宗教に加入している友人から宗教の必要性を何度か語られたことがありますが、その都度私は自分さえ真面目にちゃんと生活をしていれば宗教は必要ないと言っていたことを覚えています。(心からそう思っていました)

 短大を出て就職をし、すぐ夫と知り合い23歳で結婚をし、2人の子どもにも恵まれ幸せに暮らしていました。それまでには、最初の子供の後に流産という悲しみがあったり、その他の困難もありましたが、夫の愛情があり乗り越えることができました。しかしその夫を、上の子どもがこどもの園幼稚園に入園する前の年くらいから信頼することができなくなり、愛情すらなくなってしまいました。両親の愛情の中で育ち、この人となら幸せになれると思い、人生を託し結婚した人との間で愛情がなくなってみると、何を信じて良いのか、また、人間の愛情とはいとも簡単に変わってしまうものだと愕然とする思いでした。

 このままでは良いはずがなく、子どものためにも良くないので、何か良い方法、何か良い知恵はないものかと、日頃尊敬している方に相談したり、色々な講演会に足を運んだりもしましたが、答えは得られず、自分で自分の気持ちすら変えることができずに悩みました。子供が出来る前は、つらいことがあっても、自分だけが悲しんだり、苦しめば済みましたが、今の自分には2人の子どもの将来がかかっているので、そのことで、とても苦しみ、毎日のように泣いていました。

 子どもが、こどもの園幼稚園に入園し、賛美歌を覚えてきては毎日の通園の時に歌い、教えてくれました。とても楽しく、心の安らぐ時間でした。

私の問題を、神様だったらどうしなさいとおっしゃるのか、答えが聞きたくなりました。しかし、教会に行ったり、礼拝に出ることは敷居が高く感じられ、なかなかできませんでした。

ある日曜日、子どもを幼稚園にお迎えに行くと、門のところに立っていた先生から「今日は特別伝道礼拝なので、どうですか?」とお誘いがあり、自分も出席して良いのか戸惑いましたが、快く受け入れてくださり、出席しました。

その時の牧師婦人の「イエス様は、神社などに足を運ばなくても、いつも一緒にいて下さいます」というお話や、教会員の方の証など全てが心に響きました。特に、賛美歌を聴くとなぜかホッとし、涙が次から次へと溢れ出てきました。ただの歌ではなく、「何かの力」を感じました。

 それから、下の1歳の子どもを連れ、礼拝に出席するようになりました。子どもが騒ぐのであまりお話を聴くことができない時もありましたが、毎日のようにお祈りするようになりました。幼稚園のお母様の中で熱心なクリスチャンの方が何人かいて、毎週家庭集会に招いて下さったり、一緒にお祈りをして下さいました。イエス様のことを知ってくると、今まで「あたりまえ」だったことが全て「感謝」に変えられるようになり、地に足が着いた思いがしました。

若かった頃、神様は必要ないと思っていた自分ですが、神様に生かされていることがわかり、自分が傲慢だったことを反省しました。そして、子どもが年長のクリスマスの時に洗礼を受けました。洗礼を受けたからといって問題がなくなるというわけでもありませんし、困難に遭うたびに苦しんだり、悲しんだりしますが、神様を信じ、祈りながら歩んでいると、その時は自分の思ったような結果にならなくても、後には必ず自分のためになる結果に導いて下さいました。

自分が正しい者であるからクリスチャンなのではなく、神様なしでは生きられない弱い者だから教会に通っています。

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